めぐる木島平。暮らしも旅もぐるっと。
foodグルメ・お土産

幻の酒米「金紋錦」の日本酒

木島平の田園風景

木島平村が大切に育てる「酒米・金紋錦(きんもんにしき)」

酒米「金紋錦」は、長野県の奨励品種として1964年から県下の多くの地域で栽培が始まり、木島平村でも当初から取り組んできました。しかしながら、その栽培技術の難しさから次第に生産量が減少していくなかで、これまで唯一この酒米を守り続けているのが木島平村です。
一方、酒蔵では、石川県の酒造会社である㈱福光屋が、木島平村とともに、今まで金紋錦を扱ってきました。
福光屋と旧木島平村農協酒米部会との取引が始まった1973年、本村では、県経済連と酒造協会が協業して、「酒米搗精所」が建設されました。これは酒米の精米が主たる目的でしたが、これに合わせて配給米の精米も行い、古くから米どころとして知られていた木島平村と木島平米の更なる底力を示したいという思いからだそうです。
その後、1988年からは福光屋、木島平農協、県経済連との三者による契約栽培が開始され、その間、「高品質実証圃栽培試験」に代表されるように栽培技術や品質の更なる向上を目的とした地道な努力が続けられてきました。
300俵余りから始まった金紋錦の取引は、ピーク時にはその10倍以上に拡大しました。
村では、2001年から環境保全型農業を掲げ、県の栽培基準から化学肥料を半減した特別栽培米を推進してきています。「金紋錦」も2005年からは全契約量を特別栽培米として、また最近では一部「JAS有機栽培」による酒米づくりにも取り組んでいます。
2017年現在、金紋錦を扱う蔵元は23蔵に拡大してきており、金紋錦の栽培の歴史は、木島平村の持続可能な農業生産の礎となっています。旨くて軽いことが分かる時代に、金紋錦の信奉者がさらに増えることを祈っています。

木島平産酒米の金紋錦で作った酒

英文学者 吉田健一氏が選んだ日本酒「黒帯」

吉田茂元首相の長男で英文学者の吉田健一氏は食通、愛酒家で知られ、昭和40年(1965年~)代、金沢に旨い酒と料理を求めて冬に何度も足を運んだそうで、その折には福光屋を訪れ酒宴を楽しまれました。彼の代表作の『金沢』や『舌鼓ところどころ』などに当時の描写があり、その彼がある来訪の時に福光屋の先代にこういう注文を出されました。「さらにするりと飲める酒が造れないか」、これが黒帯という酒の開発の発端となりました。

様々に当時の醗酵技術を駆使して試作に取り組み、ようやく試飲していただける段階にさしかかり、彼がこれでいいと言い、一段上の酒、酒の有段者が飲む酒ということで「黒帯」という名前を頂いたそうです。

その時に彼が書いた黒帯の描写がコチラ。

「酒はただ飲めばいいようなものでも、味がただの酒と思わせるものでなければならない。それを飲む方はそれでいいのであっても、その酒を造る方の苦心は並大抵のものではない。言はば苦心すればする程ただ酒でしかないものが出来上って酒好きを喜ばせるといふことになるのだらうか。「黒帯」はさういう酒である。」(「白山の雪」より)

この「ただ酒でしかないもの」という酒がどういう酒なのか、それは「旨くて軽い」という味のようで、酒の理想型として福光屋の酒造りの方向性となりました。旨いことは分かりやすいのですが、当時まだそれほど世の中が豊かでなかった時代に、この「軽い」ということはなかなか難しいことであったそうです。 金紋錦が福光屋にとって重要な米であるのは、この軽さを出せるからと言われています。
今となれば、この成熟した豊かな時代に、「旨くて軽い」という概念は理解されるようになりました。金沢の老舗料亭をはじめ、数々の食の職人に鍛え、育てられ、現在多くの食通、酒通の方々からその味わいを認められています。とくに燗をすると味わいがふくらむ「燗上がり」の酒を目指し、和食に合うのが特長です。

※ご購入は村内酒店または各蔵元まで。

福光屋ウェブサイト

http://www.fukumitsuya.co.jp/

金紋錦を使った日本酒

パンフレット [PDF:8.31MB]

関連記事:

こだわりたっぷり木島平のお酒「内山乃雫」

木島平村ウェブサイト「木島平の特産品 日本酒」(外部リンク)