めぐる木島平。暮らしも旅もぐるっと。
INTERVIEW村で生きる

浦山秀紀さん/試行錯誤の毎日。これからも美味しいきのこをお客さんに届けられるようにできることをやっていきたい

「物心がついた頃から、きのこは身近なものだった。」という浦山さん。
祖父の代から始まったきのこ農家。平成元年に庚地区に工場を建て、本格的に事業を始めた。平成4年に有限会社浦山きのこサプライを設立。現在はナメコ・はたけしめじ・きくらげを栽培・販売している。祖父の代からの家業であるきのこ農家を継ぎ、有限会社浦山きのこサプライの代表取締役を務める浦山さんに今回はお話を伺いました。

浦山さんは木島平村生まれ、木島平村育ち。浦山家の長男として生まれ、幼少期からきのこ屋を継がないといけないのだろうと漠然と考えていた。平沢地区で祖父がきのこを始めた当時は、冬の仕事できのこができるよう車庫や土蔵を改造し、きのこをしている家は至るところにあったという。地元の農林高校に進学し、卒業後は東京のお鮨屋さんに就職した。

「色んな経験と考え方を学ぶために地元よりも県外にでて、違うところを見ておいた方がいいかなと思っていたので、東京のお鮨屋に就職しました。農林高校に面接の募集があった二子玉川のお鮨屋さんで4年間働きました。」

働きながら調理師免許も取得。お客様にお鮨を握ることができるようになっていたが、もともと人の前に出ることが苦手だったことや、経験を積むうちにあまり自分には向いていないと思い始めていた。実家のきのこ屋では包装機がデジタル化し、祖父や父が扱えないのでそろそろ戻ってきて欲しいと連絡がくるようになった。きのこ屋を継がないといけないと考えていたこともあり、お鮨屋で働くことは4年で区切りをつけた。そして木島平村に戻り、きのこ屋を始めた。

「戻ってきた当時は利益が横ばいから少し下降ぎみの頃合いでした。大手が山ほどきのこを出すようになり、機械化も進んできたときだったので、これからどうしていけばいいのだろうなと思いながら、不安の中始めました。」

経営のことは右も左も分からない状態。試行錯誤の日々が始まった。

「このままではまずいと思っていたので、まず初めに味は美味しいが、栽培が難しく大手が参入しづらい品種を作ることを考えました。種菌メーカーさんとの取引があり、手間はかかるが〝はたけしめじ〟をやってみることにしました。自分で動くしかなかったので、ないつてをたどって、あの手この手で直取引も始めました。」

はたけしめじは、シメジ属に属するきのこで食味に優れている。しかし栽培が難しく、収量が取りにくいため、一般のスーパーや八百屋に並ぶことはほぼない、貴重なきのこである。取引には失敗しながらも経験を積んでいった。そのうちに、はたけしめじが珍しいため、スーパーからも声がかかるようになり、徐々に大手のスーパーとも契約ができるようになった。

「当初作っていた分では足りなくなり、平成19年には規模を拡大しました。当時はナメコを株取りなめこの形で出荷していましたが、手間がかかる割に、数も出ず先細になってきたので、カットナメコに変更しました。(包装形態を変更)これがけっこうヒットして、ナメコは安定して出荷できるようになりました。」

 規模も拡大し、順調に進んでいるように思われたが、徐々にはたけしめじの売り上げも先細になり栽培数を減らすことに。

「規模を拡大していたので、はたけしめじの代わりに何か作る必要がありました。そこで生きくらげを導入しました。きくらげは冬に出荷するのは難しく、出荷しているところはないに等しいので、冬に出荷できたら取引もうまくいくのではないかと考えてやってみることにしました。苦戦はしましたが、冬の間に生きくらげをなんとか出荷できるようになりました。」


経営を守るためにも、急遽始めたきくらげの栽培。非常に難しかったというが、納得のいくものを作ることができた。結果、現在の出荷割合は、はたけしめじ1割、ナメコ6割~7割、残りがきくらげになった。取引の方法も勉強会などに参加しつつ、実践することで知識を身につけ、現在では自社販売で大半を販売できるようになった。

「毎度行き当たりばったりで、次に進むために対応しています。その中で、本当に色んな人たちが助けてくれていて、輸送の面でも割にあわないものもとりにきて運んでくれたり、勉強会で出会った方も色んな人を紹介してくれたり、気にかけて声をかけてくれる人がたくさんいます。分からない中でやっているうちに、有難いことに助けてくれる人が山ほどでてきて、基盤をつくることができて今があります。」

人との繋がりに非常に助けられたという。浦山さん自身に、どうにかしなければいけないという強い気持ちがあったからこそ、自ら行動し良い方向へ進むことができたのだ。改善策を考え、その都度ピンチを乗り越えてきた浦山さんの姿勢や熱意が周りの人に伝わり、自然と周りの人も応援したくなるのだろうと感じた。取引先とも要望のすり合わせができるようになり、安定してきたという。


「すべての人と共感できるわけではないけど、応援してくれる人はいて今日に至っています。ただ自分がいまやっていることは、正解なのかよくわからないです。次々に課題は出てくるので出口もないですし、社員を抱える中で自分のこだわりだけでやっていくことは難しいということもわかっているので、葛藤もあります。」 

人前にたち引っ張っていくことは好きではなく、苦手な方だという。その中で、模索しながらも日々の業務に真摯に向き合う姿が印象的だった。取材当日も工場の中を細かく案内してくださり、きのこの栽培についても詳しくお話してくださった。ひたむきに仕事に打ち込み、美味しいきのこを作ることへの熱意を感じた。

「最終的にどうなるのだろかと思いながら、計画性はないですね。(笑)日々奮闘している感じです。ただお客さんに美味しいものを届けたいという気持ちは一番なので、これからもできることをきちんとやっていくしかないなと思っています。木島平村にも美味しいきのこがあるということが徐々に広まっていけばいいなと思っています。」

試行錯誤の日々の中で、自分で道を切り開いていく浦山さん。これからも美味しいきのこを栽培・販売するために仕事に真摯に向き合いながら突き進んでいくのであろう。

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浦山秀紀(うらやまひでき)さん
有限会社浦山きのこサプライ 代表取締役
公式サイト: http://www.u-kinoko.net/