小松健一さん/「木島平村」の景色の中で洋菓子店の夢を叶えた
木島平村のシンボル・高社山 がきれいに見える場所に、パティスリー・レーヴがある。フランス語で、レーヴは「夢」を意味する。
このパティスリー・レーヴの代表が小松健一さん。
季節のショートケーキや木島平村の野菜・果物・日本酒など、地の物で作る洋菓子はおススメ。
小松さんは、1977年生まれの46歳。木島平村の小中学校を卒業後、おとなり中野市の高校に進んだ。高校では電気を学びながら、当時の長野電鉄木島線で約1時間の道のりを通った。高校の授業や部活が終わり、信州中野駅近くの商業施設でよく自分が好きな「パフェ」を食べていた。高校3年生のある日、「こんなうまいものが毎日食べられる職業につきたい…」そう思った時、いつの間にか進路は決まっていた。
高校卒業と同時に、東京の菓子製造専門学校へ進み、菓子製造のイロハを1年間学んだ。1年間のみの学校であったため、その授業内容は勉学というよりは実技が中心で、今の自分の技術はそこが始まりだと小松さんは話す。
専門学校が終わり、神奈川県内の大手ケーキ店へ就職した。ケーキ以外にも多くの洋菓子を取り扱っていて、パンやデニッシュの製造技術もそこで学んだ。県内3店舗を転々としながら仕事をしていた時、東京駅に寄る機会があった。
「こんな所に見たことのある景色がある。」よく見ると、それは高社山がきれいに映る「木島平村」のポスターだった。
いつか村に帰って自分で洋菓子店を開きたい。それが小松さんの夢だった。
25歳になり地元に帰省した時、勉強のために中野市の洋菓子店へ足を運んだ。洋菓子店の店長と、今まで自分が勤めていたお店などの話をしていると「この店で働いてみないか」と誘いを受けた。まだ神奈川のお店でも働きたかったが、「これは地元に帰るチャンスだ」と思い、神奈川のアパートを引きあげ、その洋菓子店で働き始めた。
小さな洋菓子店であったが、大手ケーキ店にはない“あったかさ”にひかれたのが決め手という。
2年ほど経験を積んだ2014年、木島平村にも合併問題の風が起きた。「木島平村に店を開きたい!」と思っていた小松さんだったが、合併してしまえば“木島平村”と名乗れないので、木島平村が存在している間にお店を開こうと思い、念願だった木島平村での洋菓子店「パティスリー・レーヴ」を、2004年11月に、27歳でオープンさせた。(結局、木島平村は合併はしなかったが)。お店の場所は、東京駅で見た「木島平村」の景色そのものが見える現在の位置にある。
木島平村自体が人口が少なく、しかも交通量の少ない場所にオープンしたので、お客様が来るかどうか非常に心配だったが、今では同級生や恩師、チラシなどを見てきてくれた都会の方など、多くのお客様に恵まれながら、営業をしている。
「仕事は生きていくためには大事。だけど楽しくなくてはやっていられない。今の仕事は、趣味の延長です。夢をあきらめず、いつか頑張って叶えてほしい。そのためには、夢を目標ととらえて、一生懸命目標に向かって進むことが大事。特に夢を抱いている10代の若者達には伝えたいです。」
決して夢をあきらめなかった小松さんは、若者達へエールを送る。
パティスリー・レーヴ
公式サイト Patisserie Reve (shopinfo.jp)
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