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木島平人05|袮津澄博さん

昨年の8月11日、国民の休日として施行された山の日、この日に合わせて木島平村のシンボル高社山(標高1351.5m)で登山イベントが開催され、大勢の山好きで賑わった。このイベントの主催をしたのは、一昨年前の12月に発足した “高社山を世界に発信する会” である。

“高社山を世界に発信する会”の木島平村支部長を務める袮津澄博さんに高社山の思い出やこれからの夢などを聞いた。

 

切っても切れない高社山との関係

袮津さんの家は高社山の裾野にある。家からも高社山が見えていた。小学生の時は学校の登山で登った思い出もある。

「小学生の頃の高社山はまだ木島平スキー場がなかったから、今見ている高社山の姿とは全然違っていた。」と懐かしそうに話す。

スキーが大好きで小学生から高校生までずっとスキーにハマっていた。更に高校卒業後もスキーに関わっていたくて冬はスキー場のアルバイト、春から秋は別のアルバイトをする生活を27歳まで続けた。もちろん木島平スキー場でである。木島平スキー場は昭和38年に高社山の北側(木島平村側)の農場だった場所にできた。袮津さんが中学校の時だった。

「アルバイト時代は、スキー場の午後の勤務が終わってから夕方まで、練習のために山頂からの急斜面(平均斜度35度、最大斜度45度、木島平スキー場の名物コース)を何度も滑りましたよ」と楽しそうに話す。

 

高社山の思い出は、スキーだけではない。“高社山一周駅伝”にも10年間出場し、区間優勝もしたことがあるそうだ。高社山一周駅伝は、高社山を囲む市町村のチーム対抗で行う駅伝大会で、50年以上続く歴史のある大会だ。毎年秋に開催される。

「27歳からの25年間はパソコンメーカーに勤めた。その間、単身赴任などで村を離れたりして、高社山との関わりも薄れた時期があったが、その後、村の観光施設を管理運営する第3セクター、木島平観光株式会社に転職して、スキー場や高社山の中腹にある公園の管理などに携わった。12年間務めて一昨年、定年退職をした。」

 

高社山の恩恵

高社山は木島平村のどの集落からでも見える。村の住民にとって高社山は故郷の風景のシンボル的な存在だ。
「高社山から水や雪の恵みを受けている。その雪を利用したスキー場が栄えなかったら今の木島平村はないかもしれない。」
確かに、スキー場以外にもパラグライダーなどの観光面の恩恵を受けている。
余談だが、高社山の山麓にある我が家(筆者の)は、水道の水源が高社山にある。とても美味しい水だ。

「昔から『高社山に3回雪が降ったら里にも雪が降る』とか『山が白くなったら雨が降る』なんて言って、いつも高社山を見ながら生活してきた。」

 

夢は高社山ブランド

袮津さんが木島平村支部長を務めている“高社山を世界に発信する会”は高社山を囲む3つの市町村の有志が立ち上げた会である。この会の使命は高社山山麓に広がる地域の文化、産業、歴史を世界に発信することである。高社山は木島平村、山ノ内町、中野市、飯山市と接しており、各市町村それぞれに異なる魅力を持っている。袮津さんは、それぞれの市町村が持つ魅力を活かし、高社山を中心とした地域連携によって、この地域を活性化したいと考えている。
“高社山を世界に発信する会”としての今後の活動、そして目指していることを聞いた。
「ひとつは、この地域に外から人を呼び込み、地域が潤う仕組み作りや、地元への貢献としてクリーンウォーキングのような清掃活動などもしていきたい。もうひとつは、継続的な活動をするために、高社山ブランドの商品化など収益性を意識した組織の検討を考えている。」
「“高社山を世界に発信する会”の発足は、木島平村の行政も山岳観光に力を入れ始めたタイミングとちょうど合ったので良かった。この期を逃さず活かしたい。」

 

 

最後に、袮津さんお気に入りの“高社山を眺めるビューポイント”を教えてもらった。
「全景が観れる場所としては、麓の田んぼが広がるところ、根塚のあたりからの眺め。あとは紅葉の時期にやまびこの丘公園から見る高社山も好きです。」

 

 

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袮津澄博(ねつすみひろ)さん
1950年生まれ 66歳
高社山を世界に発信する会  木島平村支部長
ホームページ https://koshasan.com/